内田樹氏の『下流志向』の書評が新聞に載っていました。
副題は、「学ばない子どもたち 働かない若者たち」です。
内田氏は、多くの著作で現代の若者について、
知育、体育といった点から発言なさっています。
曰く、
昔のこどもは家事を手伝うことで
働くことを生活の中で学んだけれど、
今のこどもは手伝う必要がない、
ので働くことを知らない。
そしてどうなるかというと、
消費者としての自分を確立していく、というのです。
ケイタイやDSに我を忘れる青少年をみかけると、
働くということの意味がわからなくなります。
働くことの辛さや楽しさを体験しなければ、
遊ぶことの意味もないのかもしれません。
痛いとか辛いとかを回避して、
なんとなく居心地よくすごす、
それがが無難な小さな幸せ。
小さな殻にこもった即物的な世界。
というわたしも、
バブル期の消費社会で育っていますから、
交換価値は見えないと不安です。
すぐ役に立つ物と交換できる、
そしてすぐ役に立つ即効性がある、
それが現代における選択の尺度です。
いつかよくなるよ、夢をもとう、といっても、
そこには人を動かすインパクトはありません。
いかに今の社会でバランスをとって人間として生きるか、は課題です。
内田氏は将来武術(合気道)を子供たちに教えてすごすのが夢だそうです。
わたしとはいろいろな点で思考の枠組みが違いますが、
八卦掌八卦気功をお教えしながら、
やはり、わたしも、その一つの目的に、
青少年の知育育成があると思っています。
では武術を学ぶとは何なのか。
八卦掌は、まず自立することを教えてくれます。
一人でたって、自分のカラダとココロを識ること、
自分の五感を働かせて世界そして宇宙を見つめることです。
カラダとココロが相乗的に強く大きくなることが大切です。
さらに八卦掌は、コミュニケーションの方法を教えます。
武術的には、いかに敵と見えるかということですが、
それは、他者の存在をまず認めることに始まります。
そして、他者との距離を識る、
ひいては、自分の位置を識る。
踏み込みすぎない、引きすぎない、
適度な距離を計る能力が開発されます。
コミュニケーション能力が低下している今、
他者の存在と自分の存在を認識する能力は
とても大切なことだと思います。
八卦掌(武術)は肌と肌との直接的なふれあいから、
人間を、生きることを体験的に教えてくれます。
電脳化時代ではあるのですが、
何かゴーストというのでしょうか、
魂のようなものに気づくことができなければ、
結局、
武術的にも社会的にも大成することはできないと思います。
武術というと何かしらオタク的な臭いがするかもしれませんね。
しかし、経験からはっきり言えることは、
八卦掌が突出して洗練された武術であることです。
心身ともに発育進化するための完璧なシステムが備わっています。
これをすれば、こうなります、とは言えません。
交換価値では計ることができないからです。
しかし、稽古を続けてなさることで、
他者の声に耳を傾け、己の声を聞く、
他者の存在を肌で感じ、己の存在を発見する、
そうした感覚が自然に身につくと思います。
おそらくその目指すところは、
達人ではなく、
普通の人間として、
生きていくこと・・・。
・・・結局、わたしもドリーマーなのかもしれません。
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